2010年11月の記事 華南の都、広州とは‥‥。

2014-12-22

 今、アジア大会が開催されようとしてますが、今回の開催地は中国・広州。

‥‥中国の都市といえば上海や北京が注目されていますが、広州は華南地域の中心都市であり、人口は700万人をこえています。さらに流動人口(いわゆる農民工の方ですね)が400万人以上であり、1000万人を超える大都市である。
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~Wikipediaから抜粋~
「食は広州にあり」という、広東料理の中心地。香港の方が洗練されているかもしれないが、歴史的には広州が本場である。朝などに、点心を食べながら喫茶する飲茶の習慣がある。現在は、中国各地の料理店も林立しており、ハンバーガー、フライドチキン、ピザなどの欧米系ファストフード店やコーヒーショップ、香港風の茶餐廳、回転寿司店なども多い。

 中華人民共和国成立後も香港に近い広州は中国の対外貿易港として機能し、毎年春秋には広州交易会(カントン・フェア)が実施され続けている。79年、鄧小平が対外経済開放政策を取ると、深セン・珠海の経済特区を経済圏に収める広州は経済的に急速に発展を遂げた。しかし、多数の人口が農村から流入し、治安の悪化は社会問題となっている。

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                               広州交易会の様子。

【主な観光スポット】

~中山紀念堂~
 中山記念堂は中国民主革命の先駆者である孫文先生を記念するために出来た建築です。孫文先生は日本では孫文という名前で、よく知られていますが、中国国内では孫中山という名前で知られて尊敬されている。世界的にも有名な中山記念堂は、中国の古典的な建て方で、宮殿式の建物です。青屋根の丸い形で、北京の「天壇」に似ている。

~黄甫軍校~
 黄埔軍校は第一次国共合作期(1924–1927年)に孫文が創設した陸軍軍官学校で、ここから 多くの国民党、共産党の幹部、中国軍事、政治人材(例えば、孫中山、周恩来、叶劍英など)を育っていた。なお、初代校長は蒋介石。黄埔軍校は広州東郊の黄埔長洲島にあり、もともと「陸軍軍官学校」と呼ばれた、後、「中央軍事政治学校」の名称に改めた。黄埔軍校の旧址は全国重点文物保護単位で、広州市愛国教育基地となっていた。現在敷地内には、孫中山記念碑と銅像、孫中山記念室、軍校校舎及び黄埔軍校史料陳列館、軍校倶楽部、東征烈士墓などが残っている。



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